【全米テニス】清水善造さん孫・善三さん、錦織にエール「胸すく思い」
清水善造
◆テニス4大大会最終戦 全米オープン第8日(1日、ニューヨーク・ナショナル・テニスセンター)
男子シングルス4回戦で錦織が日本男子では1922年の清水善造(故人)以来92年ぶりの8強進出の快挙を決めた。清水さんの孫で元タレントの善三さん(55)も喜びの声を上げた。女子ダブルスでは、クルム伊達公子(43)=エステティックTBC=が自身92年の全豪以来22年ぶりの4大大会ダブルス8強入り。08年に現役復帰後では初となった。
清水善造
錦織の快挙を“伝説の男”の孫も喜んだ。善三さんはスポーツ報知の電話取材に応じ、祖父・清水善造氏の1922年大会以来となる8強入りを「素晴らしい」と絶賛した。錦織の試合はほぼチェックしているそうで、7月のウィンブルドン選手権4回戦でラオニッチと対戦した際の映像も見た。「けが明けなのに素晴らしい。骨格や筋力などのハンデを覆して、外国選手に立ち向かっていく姿に、胸がすくような思い」と興奮した様子だった。
善造氏は20年代初頭に活躍。プロ選手の参戦が認められた68年のオープン化より、はるか昔のことだ。全米のほか20年ウィンブルドンでも4強入りした。その優勝挑戦者決定戦(現行の準決勝)で、相手のチルデン(米国)が転倒した際、起き上がってレシーブできるように、やさしい返球を打ったという逸話が残される通り「穏やかですてきな紳士だった」という。
テニス界の名選手だという事実を、善三さんは「13歳でテニスを始めるまで知らなかった」というが、実家には大会で獲得したカップや写真などが並んでいた。「壁打ち用の板が家にあって、毎朝2000回ぐらいの壁当てをしていました。当時70歳くらいの祖父がほとんどミスをしないんですよ。今でも耳にはその音が残っています」
専大松戸高の硬式テニス部では、シングルスで千葉県大会準優勝。その後タレントに転身し、バラエティー番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」などで幅広く活躍した。現在は芸能界を離れ、愛媛・新居浜市のインドアテニススクールで特別コーチを務める。「92年間破られなかった記録を、苦しい思いをしてやってくれた。次もぜひ勝ってもらいたい」とエールを送った。
◆清水 善造(しみず・ぜんぞう)1891年3月25日、群馬県生まれ。東京高等商業高(現一橋大)を卒業後、1920年に日本人として初出場したウィンブルドン選手権で4強。21年には世界ランク4位となり、22年の全米でベスト8。さわやかな笑顔から「スマイリー・シミー」と慕われた。27年の引退後、54年には国別対抗戦のデ杯の日本代表監督に就任。77年に他界した。
◆1922年(92年前)の日本と世界 日本は関東大震災の前年で、大正11年。1月に大隈重信、2月に山県有朋と、明治の元勲が死去。大隈は日比谷公園で国民葬が執り行われた。グリコのキャラメルが発売。アイシャドーが流行。池袋―所沢間の鉄道が開通。日本庭球協会(現在の日本テニス協会)が発足した。オスマン・トルコ帝国が滅亡し、ソ連が成立。英国ではラジオ放送が始まり、同年に英国から独立したエジプトではツタンカーメン王の墓が発見されるなど、世界史上でも激動の年となった。
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