【高校野球】もう1度見たかった「上甲スマイル」 済美・上甲正典監督の厳しくも優しい野球人生
胆道がん
選手をいかにリラックスさせるかが監督の仕事
愛媛の宇和島東、済美で監督を務めた上甲正典氏が9月2日に胆道がんのため、この世を去った。67歳だった。4日に行われる告別式では今年のドラフト1位候補で、上甲監督とともに戦ったエース・安楽智大主将(3年)が弔辞を読む予定。2日午後、安楽は亡き指揮官と涙の対面をした。
上甲監督は練習の鬼とされながら、甲子園のベンチでは「上甲スマイル」と呼ばれるほど、笑顔で選手を出迎え、グラウンドに送り出していた。それは箕島の名監督、故・尾藤公氏の影響が大きかった。上甲監督は「甲子園に来たら、選手をいかにリラックスさせる方法でやるかが監督の仕事。鏡の前でどう出迎えたらいいか、笑う練習もしていた」と明かすなど、胆道がん厳しさの中にも優しさのあふれる監督だった。
宇和島東の監督時代から教員ではなく、他の仕事(薬店勤務)をしながら母校の監督業を務めていた。当初は高校野球=教育という観点からは離れていると批判的な意見もあったが、上甲監督は一社会人として自立させることを大きな目的とし、野球と一緒に人間性の指導も始めた。
胆道がん
教員でないからこそ、教育について人よりも貪欲に学び、いつしか生徒の教育に対しては他の教員よりも厳しい目を持つようになっていった。これも同じように教員ではなかった名将・尾藤氏の影響を受けていた。
2度の選抜初出場V
1988年に宇和島東を選抜初出場で初優勝に導き、2校目の済美も2004年に選抜初出場で初Vと2度の初出場初優勝の偉業を成し遂げている。2001年に妻の節子さんを亡くし、同年に宇和島東の監督を辞任している。上甲監督にとって夫人の死は大きかった。しかし、後に夫人が上甲監督に残した言葉を聞かされる。
「好きな野球をずっと続けてほしい」
その言葉を聞いた上甲監督は、創部まもない済美高校を指導することに。福井優也投手(広島)、鵜久森淳志外野手(日本ハム)を擁し、04年春に優勝、夏は準優勝。野球人としての自分の目標、そして夫人の思いを甲子園の舞台で形にした。夫人との思い出の品であるハンカチをポケットに忍ばせて、試合に挑んでいたという逸話も残っている。
今年の愛媛大会で指揮を執っていた上甲監督は入院する1か月前まで、生徒たちのために、病と戦っていた。上甲スマイルをもう1度、甲子園で見たかったという野球ファンも多いに違いない。
プロ野球界、アマチュア野球界からもその死を惜しむ声がたくさん届いている。今頃、上甲監督は恩師でもある尾藤監督や愛する夫人と再会し、これまでの苦労を笑いながら話しているかもしれない。そして空から、楽しみにしていた教え子・安楽らの成長を「上甲スマイル」とともに見守っていくことだろう。
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