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<水島広雄さん死去>日本一の百貨店王から転落 波乱の人生

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<水島広雄さん死去>日本一の百貨店王から転落 波乱の人生

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水島広雄


7月28日に102歳で亡くなった大手百貨店そごう(現そごう・西武)の元社長・会長の水島広雄さんは、独自の手法でそごうを日本最大の百貨店グループに押し上げた異形の経営者だった。バブル崩壊で経営に行き詰まり、差し押さえを逃れるために自らの預金を隠した容疑で逮捕されるなど、波乱の人生を送った。

 水島さんは日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)の行員だった1953年に「浮動担保の研究」という論文で法学博士号を取得した。利益を生み、拡大し続ける会社自体を担保の対象とする英米の先端理論を日本に紹介した内容で、後に法制化されたほどだった。

 水島さんは58年に興銀を離れ、そごうの副社長に就任。地価が右肩上がりの時代に入ると、そごうのグループ各社が新店に出資し、開店後に膨らんだ新店の土地の含み益を担保に、さらに出店攻勢をかける手法で経営を拡大させた。

 そごうトップに38年間君臨し「ワンマン経営者」とも評された。人心掌握術にもたけており、元横浜そごう店長の竹下八郎さんは「各地の店舗に足しげく通い、従業員とのコミュニケーションを大切にしていた。人を思いやる心があり、広い人脈も持っていた」と振り返る。会社経営の傍ら、東洋大や母校の中央大で教壇に立つ学者でもあった。

 だが90年代のバブル崩壊によって、経済成長を前提とした拡大路線は行き詰まり、2000年7月に経営破綻。同年11月、破綻後初めて記者会見に応じ「放漫経営ではない」と強気を貫いた。破綻前後に自らの預金を隠したとして強制執行妨害罪に問われ、06年に有罪が確定した。

 12年4月には、海部俊樹元首相や塩川正十郎元財務相、鈴木修スズキ会長兼社長らが発起人となった100歳を祝う会に出席。今年4月には、元そごう従業員の親睦会に参加し、元気な姿を見せていた。

 葬儀は今月2日、東京都内の斎場で営まれた。出席者によると、喪主を務めたおいの有一さんが「倒産という形で、従業員や世間に多大な迷惑をかけたことを生涯悔やんでいた」と故人の思いを語ったという。【神崎修一、高橋直純】

 ◇そごう

 セブン&アイ・ホールディングス傘下の「そごう・西武」が運営する百貨店。全国に9店舗ある。1830年、十合伊兵衛(そごう・いへえ)が大阪で創業した。1919年に本格的な百貨店業を開始し、69年に「十合」から「そごう」に改称した。

 60年代前半まで大阪、神戸、東京の3店舗のみだったが、後半以降は積極出店を進め、90年代には国内30店舗を誇る国内最大の百貨店グループに成長した。ただバブル崩壊で経営が悪化し、2000年に1兆8700億円の負債を抱え、民事再生法の適用を申請した。01年、西武百貨店と業務提携し、03年にミレニアムリテイリンググループを発足。06年、セブン&アイがミレニアム社を完全子会社化した。
















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